解剖学の常識と非常識
杏林大学 松村譲兒  
現在、私たちが学んでいる人体解剖学は、基本的には世界中で共通の学問分野とされている。諸外国の教科書や図譜が翻訳されて日本で利用されたり、反対に日本人での所見が外国の雑誌に掲載されたりしていることからもその原則は理解されよう。しかしながら、同じ人体解剖学の教科書でも、その記載がすべて同一という訳ではない。例えば、腹直筋の起始と停止が上下逆に記されていることは意外に多いし、広頚筋の起始・停止の記載も必ずしも一致しているわけではない。また「脳神経=脳から出入りする神経、脊髄神経=脊髄から出入りする神経」というのも教科書レベルでは当然のこととされている。ところが、多くの学習者は学習が進むにつれてこれらの「常識」にあてはまらない記載にぶつかり、とまどいや混乱を経験することが多い。解剖学を専門にしている者ですら、ふだんは気にもかけていない記載の不一致は数多くみられ、それは個人差や変異というレベルの問題とは異なる。学習する側もそれを説明する側も、その不一致をどう解釈するかで困惑することになる。解剖学は人体という自然を観察することで、人間があとから体系づけて来た科学の一分野である。解剖学に沿って人体が創られてきたわけではない。教科書に記されているからすべて正しいという訳ではなく(誤植は別にして)、記載内容はあくまでも一般的な解釈すなわち「常識」にほかならない。かつての偉大な学者や指導者が「書籍は学者の排泄物」「教科書は読み終わったら捨て去るべきもの」という言葉を残しているのもこういった意味からであろう。私たち学習者は、実際に目にし、手で触れた事実と成書に記載されている事柄との異同を常に念頭におき、解釈を考えて行く姿勢が重要である。その解釈がたとえ独りよがりであっても、それに代わる納得できる説明が出るまでは「正答」なのである。